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――『これが情熱というものなのだ!……ちょっと考えると、たとえ誰の手であろうと……よしんばどんな可愛らしい手であろうと、それでぴしりとやられたら、とても我慢はなるまい、憤慨せずにはいられまい! ところが、一旦恋する身になると、どうやら平気でいられるものらしい。
――『これが<ruby>情熱<rt>じょうねつ</rt></ruby>というものなのだ!……ちょっと<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えると、たとえ<ruby>誰<rt>だれ</rt></ruby>の<ruby>手<rt>て</rt></ruby>であろうと……よしんばどんな<ruby>可愛<rt>かわい</rt></ruby>らしい<ruby>手<rt>て</rt></ruby>であろうと、それでぴしりとやられたら、とても<ruby>我慢<rt>がまん</rt></ruby>はなるまい、<ruby>憤慨<rt>ふんがい</rt></ruby>せずにはいられまい!ところが、<ruby>一旦<rt>いったん</rt></ruby><ruby>恋<rt>こい</rt></ruby>する<ruby>身<rt>み</rt></ruby>になると、どうやら<ruby>平気<rt>へいき</rt></ruby>でいられるものらしい。
-- 『これが じょーねつと いう ものなのだ! ……… ちょっと かんがえると、 たとえ だれの てで あろーと ……… よしんば どんな かわいらしい てで あろーと、 それで ぴしりと やられたら、 とても がまんわ なるまい、 ふんがい せずにわ いられまい! ところが、 いったん こい する みに なると、 どーやら へいきで いられる ものらしい。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
……それを俺は……それを俺は……今の今まで思い違えて……』
……それを<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>は……それを<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>は……<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>の<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>まで<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>えて……』
……… それを おれわ ……… それを おれわ ……… いまの いままで おもい ちがえて ………』
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
この一月の間に、わたしは大層年をとってしまった。
この<ruby>一月<rt>ひとつき</rt></ruby>の<ruby>間<rt>あいだ</rt></ruby>に、わたしは<ruby>大層<rt>たいそう</rt></ruby><ruby>年<rt>とし</rt></ruby>をとってしまった。
この ひとつきの あいだに、 わたしわ たいそー としを とって しまった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
そして自分の恋も、それに伴ういろんな興奮や悩みも、いま新たに出現した未知の何ものかの前へ出すと、我ながらひどく小っぽけな、子供じみた、みすぼらしいものに見えた。
そして<ruby>自分<rt>じぶん</rt></ruby>の<ruby>恋<rt>こい</rt></ruby>も、それに<ruby>伴<rt>ともな</rt></ruby>ういろんな<ruby>興奮<rt>こうふん</rt></ruby>や<ruby>悩<rt>なや</rt></ruby>みも、いま<ruby>新<rt>あら</rt></ruby>たに<ruby>出現<rt>しゅつげん</rt></ruby>した<ruby>未知<rt>みち</rt></ruby>の<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>ものかの<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>へ<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>すと、<ruby>我<rt>われ</rt></ruby>ながらひどく<ruby>小<rt>ち</rt></ruby>っぽけな、<ruby>子供<rt>こども</rt></ruby>じみた、みすぼらしいものに<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えた。
そして じぶんの こいも、 それに ともなう いろんな こーふんや なやみも、 いま あらたに しゅつげん した みちの なにものかの まええ だすと、 われながら ひどく ちっぽけな、 こどもじみた、 みすぼらしい ものに みえた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
とはいえ、その未知の何ものかの正体は、わたしにはほとんど推察することができなかった。
とはいえ、その<ruby>未知<rt>みち</rt></ruby>の<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>ものかの<ruby>正体<rt>しょうたい</rt></ruby>は、わたしにはほとんど<ruby>推察<rt>すいさつ</rt></ruby>することができなかった。
とわ いえ、 その みちの なにものかの しょーたいわ、 わたしにわ ほとんど すいさつ する ことが できなかった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
それはただ、自分が一生けんめい薄闇の中で見きわめようと空しい努力をしている、見知らぬ、美しい、しかも物凄い顔のように、わたしをおびえさせるだけであった。
それはただ、<ruby>自分<rt>じぶん</rt></ruby>が<ruby>一生<rt>いっしょう</rt></ruby>けんめい<ruby>薄闇<rt>うすやみ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>で<ruby>見<rt>み</rt></ruby>きわめようと<ruby>空<rt>むな</rt></ruby>しい<ruby>努力<rt>どりょく</rt></ruby>をしている、<ruby>見知<rt>みし</rt></ruby>らぬ、<ruby>美<rt>うつく</rt></ruby>しい、しかも<ruby>物凄<rt>ものすご</rt></ruby>い<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>のように、わたしをおびえさせるだけであった。
それわ ただ、 じぶんが いっしょー けんめい うすやみの なかで みきわめよーと むなしい どりょくを して いる、 みしらぬ、 うつくしい、 しかも ものすごい かおのよーに、 わたしを おびえさせるだけで あった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
ちょうどその夜、わたしは奇妙な恐ろしい夢をみた。
ちょうどその<ruby>夜<rt>よる</rt></ruby>、わたしは<ruby>奇妙<rt>きみょう</rt></ruby>な<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>ろしい<ruby>夢<rt>ゆめ</rt></ruby>をみた。
ちょーど その よる、 わたしわ きみょーな おそろしい ゆめを みた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
わたしは、天井の低い暗い部屋へ入って行くところだった。
わたしは、<ruby>天井<rt>てんじょう</rt></ruby>の<ruby>低<rt>ひく</rt></ruby>い<ruby>暗<rt>くら</rt></ruby>い<ruby>部屋<rt>へや</rt></ruby>へ<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>って<ruby>行<rt>い</rt></ruby>くところだった。
わたしわ、 てんじょーの ひくい くらい へやえ はいって いく ところだった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
……と父が、鞭を手に仁王立ちになって、足を踏み鳴らしていた。
……と<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>が、<ruby>鞭<rt>むち</rt></ruby>を<ruby>手<rt>て</rt></ruby>に<ruby>仁王立<rt>におうだ</rt></ruby>ちになって、<ruby>足<rt>あし</rt></ruby>を<ruby>踏<rt>ふ</rt></ruby>み<ruby>鳴<rt>な</rt></ruby>らしていた。
……… と ちちが、 むちを てに におーだちに なって、 あしを ふみならして いた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
隅の方には、ジナイーダが身を縮めていたが、その腕にではなしに、その額に、紅い一筋がついている。
<ruby>隅<rt>すみ</rt></ruby>の<ruby>方<rt>ほう</rt></ruby>には、ジナイーダが<ruby>身<rt>み</rt></ruby>を<ruby>縮<rt>ちぢ</rt></ruby>めていたが、その<ruby>腕<rt>うで</rt></ruby>にではなしに、その<ruby>額<rt>ひたい</rt></ruby>に、<ruby>紅<rt>あか</rt></ruby>い<ruby>一筋<rt>ひとすじ</rt></ruby>がついている。
すみの ほーにわ、 じないーだが みを ちぢめて いたが、 その うでにでわ なしに、 その ひたいに、 あかい ひとすじが ついて いる。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
……そこへ、二人の後ろから、体じゅう血だらけのベロヴゾーロフが、むくむく起き上がって、青ざめた唇を開くと、忿怒にわななきながら、父を脅かすのだった。
……そこへ、<ruby>二人<rt>ふたり</rt></ruby>の<ruby>後<rt>うし</rt></ruby>ろから、<ruby>体<rt>からだ</rt></ruby>じゅう<ruby>血<rt>ち</rt></ruby>だらけのベロヴゾーロフが、むくむく<ruby>起<rt>お</rt></ruby>き<ruby>上<rt>あ</rt></ruby>がって、<ruby>青<rt>あお</rt></ruby>ざめた<ruby>唇<rt>くちびる</rt></ruby>を<ruby>開<rt>ひら</rt></ruby>くと、<ruby>忿怒<rt>ふんぬ</rt></ruby>にわななきながら、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>を<ruby>脅<rt>おど</rt></ruby>かすのだった。
……… そこえ、 ふたりの うしろから、 からだじゅー ちだらけの べろヴぞーろふが、 むくむく おきあがって、 あおざめた くちびるを ひらくと、 ふんぬに わななきながら、 ちちを おどかすのだった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
ふた月すると、わたしは大学に入った。
ふた<ruby>月<rt>つき</rt></ruby>すると、わたしは<ruby>大学<rt>だいがく</rt></ruby>に<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>った。
ふたつき すると、 わたしわ だいがくに はいった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
それから半年後に、父は(脳溢血のため)ペテルブルグで亡くなった。
それから<ruby>半年後<rt>はんとしご</rt></ruby>に、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>は(<ruby>脳溢血<rt>のういっけつ</rt></ruby>のため)ペテルブルグで<ruby>亡<rt>な</rt></ruby>くなった。
それから はんとしごに、 ちちわ (のーいっけつの ため) ぺてるぶるぐで なくなった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
母やわたしを連れて、そこへ引移ったばかりのところだった。
<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>やわたしを<ruby>連<rt>つ</rt></ruby>れて、そこへ<ruby>引移<rt>ひきうつ</rt></ruby>ったばかりのところだった。
ははや わたしを つれて、 そこえ ひきうつったばかりの ところだった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
死ぬ二、三日前に、父はモスクワから一通の手紙を受取ったが、それを見て父は非常に興奮した。
<ruby>死<rt>し</rt></ruby>ぬ二、三<ruby>日<rt>にち</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>に、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>はモスクワから一<ruby>通<rt>つう</rt></ruby>の<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>を<ruby>受取<rt>うけと</rt></ruby>ったが、それを<ruby>見<rt>み</rt></ruby>て<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>は<ruby>非常<rt>ひじょう</rt></ruby>に<ruby>興奮<rt>こうふん</rt></ruby>した。
しぬ 23にち まえに、 ちちわ もすくわから 1つーの てがみを うけとったが、 それを みて ちちわ ひじょーに こーふん した。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
……彼は母のところへ行って、何やら頼み込んだ。
……<ruby>彼<rt>かれ</rt></ruby>は<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>のところへ<ruby>行<rt>い</rt></ruby>って、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>やら<ruby>頼<rt>たの</rt></ruby>み<ruby>込<rt>こ</rt></ruby>んだ。
……… かれわ ははの ところえ いって、 なにやら たのみこんだ。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
そして聞くところによると、泣き出しさえしたそうである。
そして<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>くところによると、<ruby>泣<rt>な</rt></ruby>き<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>しさえしたそうである。
そして きく ところに よると、 なきだしさえ したそーで ある。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
あの、わたしの父がである! 発作の起る日の朝のこと、父はわたしに宛てて、フランス語の手紙を書き始めていた。
あの、わたしの<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>がである!<ruby>発作<rt>ほっさ</rt></ruby>の<ruby>起<rt>おこ</rt></ruby>る<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>の<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>のこと、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>はわたしに<ruby>宛<rt>あ</rt></ruby>てて、フランス<ruby>語<rt>ご</rt></ruby>の<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>を<ruby>書<rt>か</rt></ruby>き<ruby>始<rt>はじ</rt></ruby>めていた。
あの、 わたしの ちちがで ある! ほっさの おこる ひの あさの こと、 ちちわ わたしに あてて、 ふらんすごの てがみを かきはじめて いた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
『わが息子よ』と、父は書いていた。
『わが<ruby>息子<rt>むすこ</rt></ruby>よ』と、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>は<ruby>書<rt>か</rt></ruby>いていた。
『わが むすこよ』と、 ちちわ かいて いた、
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
――『女の愛を恐れよ。
――『<ruby>女<rt>おんな</rt></ruby>の<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>を<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>れよ。
-- 『おんなの あいを おそれよ。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
かの幸を、かの毒を恐れよ』……
かの<ruby>幸<rt>さち</rt></ruby>を、かの<ruby>毒<rt>どく</rt></ruby>を<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>れよ』……
かの さちを、 かの どくを おそれよ』 ………
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
母は、父が亡くなったのち、かなりまとまった金額をモスクワへ送った。
<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>は、<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>が<ruby>亡<rt>な</rt></ruby>くなったのち、かなりまとまった<ruby>金額<rt>きんがく</rt></ruby>をモスクワへ<ruby>送<rt>おく</rt></ruby>った。
ははわ、 ちちが なくなった のち、 かなり まとまった きんがくを もすくわえ おくった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
四年ほど過ぎた。
四<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>ほど<ruby>過<rt>す</rt></ruby>ぎた。
4ねんほど すぎた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
わたしは大学を出たばかりで、何を始めたものか、どんな扉をたたいたらいいのか、まだよくわからず、さし当ってぶらぶら遊んでいた。
わたしは<ruby>大学<rt>だいがく</rt></ruby>を<ruby>出<rt>で</rt></ruby>たばかりで、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>を<ruby>始<rt>はじ</rt></ruby>めたものか、どんな<ruby>扉<rt>とびら</rt></ruby>をたたいたらいいのか、まだよくわからず、さし<ruby>当<rt>あた</rt></ruby>ってぶらぶら<ruby>遊<rt>あそ</rt></ruby>んでいた。
わたしわ だいがくを でたばかりで、 なにを はじめた ものか、 どんな とびらを たたいたら いいのか、 まだ よく わからず、 さしあたって ぶらぶら あそんで いた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
ある晩のこと、わたしは劇場で、マイダーノフに出会った。
ある<ruby>晩<rt>ばん</rt></ruby>のこと、わたしは<ruby>劇場<rt>げきじょう</rt></ruby>で、マイダーノフに<ruby>出会<rt>であ</rt></ruby>った。
ある ばんの こと、 わたしわ げきじょーで、 まいだーのふに であった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
彼はめでたく妻帯して、役所に勤めていたが、わたしの目には少しの変化も見当らなかった。
<ruby>彼<rt>かれ</rt></ruby>はめでたく<ruby>妻帯<rt>さいたい</rt></ruby>して、<ruby>役所<rt>やくしょ</rt></ruby>に<ruby>勤<rt>つと</rt></ruby>めていたが、わたしの<ruby>目<rt>め</rt></ruby>には<ruby>少<rt>すこ</rt></ruby>しの<ruby>変化<rt>へんか</rt></ruby>も<ruby>見当<rt>みあた</rt></ruby>らなかった。
かれわ めでたく さいたい して、 やくしょに つとめて いたが、 わたしの めにわ すこしの へんかも みあたらなかった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
相変らず、要りもせぬのに感激したり、例によって、いきなり悄気かえったりした。
<ruby>相変<rt>あいかわ</rt></ruby>らず、<ruby>要<rt>い</rt></ruby>りもせぬのに<ruby>感激<rt>かんげき</rt></ruby>したり、<ruby>例<rt>れい</rt></ruby>によって、いきなり<ruby>悄気<rt>しょげ</rt></ruby>かえったりした。
あいかわらず、 いりも せぬのに かんげき したり、 れいに よって、 いきなり しょげかえったり した。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「君は知ってるでしょうね」と、話のついでに彼は言った。
「<ruby>君<rt>きみ</rt></ruby>は<ruby>知<rt>し</rt></ruby>ってるでしょうね」と、<ruby>話<rt>はなし</rt></ruby>のついでに<ruby>彼<rt>かれ</rt></ruby>は<ruby>言<rt>い</rt></ruby>った。
「きみわ しってるでしょーね」と、 はなしの ついでに かれわ いった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
――「ドーリスカヤ夫人が、ここに来ていることは」
――「ドーリスカヤ<ruby>夫人<rt>ふじん</rt></ruby>が、ここに<ruby>来<rt>き</rt></ruby>ていることは」
-- 「どーりすかや ふじんが、 ここに きて いる ことわ」
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「ドーリスカヤ夫人というと?」
「ドーリスカヤ<ruby>夫人<rt>ふじん</rt></ruby>というと?」
「どーりすかや ふじんと いうと」
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「おや、君は忘れたんですか? もとのザセーキナ公爵令嬢ですよ。
「おや、<ruby>君<rt>きみ</rt></ruby>は<ruby>忘<rt>わす</rt></ruby>れたんですか?もとのザセーキナ<ruby>公爵<rt>こうしゃく</rt></ruby><ruby>令嬢<rt>れいじょう</rt></ruby>ですよ。
「おや、 きみわ わすれたんですか? もとの ざせーきな こーしゃく れいじょーですよ。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
みんなでてんでに恋していた……いや、君だってそうでしたね。
みんなでてんでに<ruby>恋<rt>こい</rt></ruby>していた……いや、<ruby>君<rt>きみ</rt></ruby>だってそうでしたね。
みんなで てんでに こい して いた ……… いや、 きみだって そーでしたね。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「あのひとが、ドーリスキイとやらの奥さんになったんですか?」
「あのひとが、ドーリスキイとやらの<ruby>奥<rt>おく</rt></ruby>さんになったんですか?」
「あの ひとが、 どーりすきいとやらの おくさんに なったんですか」
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「で、あの人がここに来てるんですか、この劇場に?」
「で、あの<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>がここに<ruby>来<rt>き</rt></ruby>てるんですか、この<ruby>劇場<rt>げきじょう</rt></ruby>に?」
「で、 あの ひとが ここに きてるんですか、 この げきじょーに」
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「いや、ペテルブルグに来てるんですよ。
「いや、ペテルブルグに<ruby>来<rt>き</rt></ruby>てるんですよ。
「いや、 ぺてるぶるぐに きてるんですよ。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
二、三日前にやって来たんです。
二、三<ruby>日<rt>にち</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>にやって<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たんです。
23にち まえに やって きたんです。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
外国へ発つつもりらしい」
<ruby>外国<rt>がいこく</rt></ruby>へ<ruby>発<rt>た</rt></ruby>つつもりらしい」
がいこくえ たつ つもりらしい」
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「夫というのは、どんな人なんです?」と、わたしは尋ねた。
「<ruby>夫<rt>おっと</rt></ruby>というのは、どんな<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>なんです?」と、わたしは<ruby>尋<rt>たず</rt></ruby>ねた。
「おっとと いうのわ、 どんな ひとなんです」と、 わたしわ たずねた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
「なかなかいい男ですよ、財産もあるし。
「なかなかいい<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>ですよ、<ruby>財産<rt>ざいさん</rt></ruby>もあるし。
「なかなか いい おとこですよ、 ざいさんも あるし。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
僕とはモスクワの役所の同僚でしてね。
<ruby>僕<rt>ぼく</rt></ruby>とはモスクワの<ruby>役所<rt>やくしょ</rt></ruby>の<ruby>同僚<rt>どうりょう</rt></ruby>でしてね。
ぼくとわ もすくわの やくしょの どーりょーでしてね。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
あなたにもお察しがつくはずだが――例の一件以来……もちろんあれは、よく御存じでしょうね……(マイダーノフは、意味ありげににやりとして)あの人は配偶を求めるのが、なかなか容易じゃなかったんです。
あなたにもお<ruby>察<rt>さっ</rt></ruby>しがつくはずだが――<ruby>例<rt>れい</rt></ruby>の<ruby>一件<rt>いっけん</rt></ruby><ruby>以来<rt>いらい</rt></ruby>……もちろんあれは、よく<ruby>御存<rt>ごぞん</rt></ruby>じでしょうね……(マイダーノフは、<ruby>意味<rt>いみ</rt></ruby>ありげににやりとして)あの<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>は<ruby>配偶<rt>はいぐう</rt></ruby>を<ruby>求<rt>もと</rt></ruby>めるのが、なかなか<ruby>容易<rt>ようい</rt></ruby>じゃなかったんです。
あなたにも おさっしが つく はずだが -- れいの いっけん いらい ……… もちろん あれわ、 よく ごぞんじでしょーね ……… (まいだーのふわ、 いみ ありげに にやりと して) あの ひとわ はいぐーを もとめるのが、 なかなか よーいじゃ なかったんです。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
いろいろ、あとを引く問題もありましたからね。
いろいろ、あとを<ruby>引<rt>ひ</rt></ruby>く<ruby>問題<rt>もんだい</rt></ruby>もありましたからね。
いろいろ、 あとを ひく もんだいも ありましたからね。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
……だが、あの人の才智をもってすれば、どんなことでも可能ですよ。
……だが、あの<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>の<ruby>才智<rt>さいち</rt></ruby>をもってすれば、どんなことでも<ruby>可能<rt>かのう</rt></ruby>ですよ。
……… だが、 あの ひとの さいちを もって すれば、 どんな ことでも かのーですよ。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
まあひとつ行って御覧なさい。
まあひとつ<ruby>行<rt>い</rt></ruby>って<ruby>御覧<rt>ごらん</rt></ruby>なさい。
まあ ひとつ いって ごらん なさい。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
君の顔を見たら、とても喜ぶでしょうよ。
<ruby>君<rt>きみ</rt></ruby>の<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>たら、とても<ruby>喜<rt>よろこ</rt></ruby>ぶでしょうよ。
きみの かおを みたら、 とても よろこぶでしょーよ。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
あの人は、前よりもっと奇麗になりましたよ」
あの<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>は、<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>よりもっと<ruby>奇麗<rt>きれい</rt></ruby>になりましたよ」
あの ひとわ、 まえより もっと きれいに なりましたよ」
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
マイダーノフは、ジナイーダの宿所を教えてくれた。
マイダーノフは、ジナイーダの<ruby>宿所<rt>しゅくしょ</rt></ruby>を<ruby>教<rt>おし</rt></ruby>えてくれた。
まいだーのふわ、 じないーだの しゅくしょを おしえて くれた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
彼女はデムート館というホテルに泊っていたのである。
<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>はデムート<ruby>館<rt>かん</rt></ruby>というホテルに<ruby>泊<rt>とま</rt></ruby>っていたのである。
かのじょわ でむーとかんと いう ほてるに とまって いたので ある。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
昔の思い出が、わたしの胸の中でうごめき始めた。
<ruby>昔<rt>むかし</rt></ruby>の<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>出<rt>で</rt></ruby>が、わたしの<ruby>胸<rt>むね</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>でうごめき<ruby>始<rt>はじ</rt></ruby>めた。
むかしの おもいでが、 わたしの むねの なかで うごめきはじめた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
ところが、何かと用事ができて、一週間たち、二週間たってしまった。
ところが、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>かと<ruby>用事<rt>ようじ</rt></ruby>ができて、一<ruby>週間<rt>しゅうかん</rt></ruby>たち、二<ruby>週間<rt>しゅうかん</rt></ruby>たってしまった。
ところが、 なにかと よーじが できて、 1しゅーかん たち、 2しゅーかん たって しまった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
ようやくわたしが、デムート館へ出かけて、ドーリスカヤ夫人に面会を申し入れると、――彼女は四日前に死んだ、と聞かされた。
ようやくわたしが、デムート<ruby>館<rt>かん</rt></ruby>へ<ruby>出<rt>で</rt></ruby>かけて、ドーリスカヤ<ruby>夫人<rt>ふじん</rt></ruby>に<ruby>面会<rt>めんかい</rt></ruby>を<ruby>申<rt>もう</rt></ruby>し<ruby>入<rt>い</rt></ruby>れると、――<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>は<ruby>四日<rt>よっか</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>に<ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだ、と<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>かされた。
よーやく わたしが、 でむーとかんえ でかけて、 どーりすかや ふじんに めんかいを もーしいれると、 -- かのじょわ よっか まえに しんだ、 と きかされた。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
産のための、ほとんどあっという間もない死に方だった。
<ruby>産<rt>さん</rt></ruby>のための、ほとんどあっという<ruby>間<rt>ま</rt></ruby>もない<ruby>死<rt>し</rt></ruby>に<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>だった。
さんの ための、 ほとんど あっと いう まも ない しにかただった。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
わたしは、何かしら心臓へぐっと、突き上げるものを感じた。
わたしは、<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>かしら<ruby>心臓<rt>しんぞう</rt></ruby>へぐっと、<ruby>突<rt>つ</rt></ruby>き<ruby>上<rt>あ</rt></ruby>げるものを<ruby>感<rt>かん</rt></ruby>じた。
わたしわ、 なにかしら しんぞーえ ぐっと、 つきあげる ものを かんじた。
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わたしは彼女に会えたはずなのに、つい会わずにしまった、しかももう永久に会えないのだ……という想念――このにがにがしい想念が、ひしとわたしの心に食い入って、うちしりぞけることのできない呵責の鞭を、力いっぱいふるうのだった。
わたしは<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>に<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>えたはずなのに、つい<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>わずにしまった、しかももう<ruby>永久<rt>えいきゅう</rt></ruby>に<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>えないのだ……という<ruby>想念<rt>そうねん</rt></ruby>――このにがにがしい<ruby>想念<rt>そうねん</rt></ruby>が、ひしとわたしの<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>に<ruby>食<rt>く</rt></ruby>い<ruby>入<rt>い</rt></ruby>って、うちしりぞけることのできない<ruby>呵責<rt>かしゃく</rt></ruby>の<ruby>鞭<rt>むち</rt></ruby>を、<ruby>力<rt>ちから</rt></ruby>いっぱいふるうのだった。
わたしわ かのじょに あえた はずなのに、 つい あわずに しまった、 しかも もー えいきゅーに あえないのだ ……… と いう そーねん -- この にがにがしい そーねんが、 ひしと わたしの こころに くいいって、 うちしりぞける ことの できない かしゃくの むちを、 ちから いっぱい ふるうのだった。
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『死んだ!』とわたしは、入口番の顔をぼんやり見つめながら、鸚鵡返しに言った。
『<ruby>死<rt>し</rt></ruby>んだ!』とわたしは、<ruby>入口番<rt>いりぐちばん</rt></ruby>の<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>をぼんやり<ruby>見<rt>み</rt></ruby>つめながら、<ruby>鸚鵡返<rt>おうむがえ</rt></ruby>しに<ruby>言<rt>い</rt></ruby>った。
『しんだ!』と わたしわ、 いりぐちばんの かおを ぼんやり みつめながら、 おーむがえしに いった。
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そして、そっと往来へ出ると、どこへとて当てもなしに歩き出した。
そして、そっと<ruby>往来<rt>おうらい</rt></ruby>へ<ruby>出<rt>で</rt></ruby>ると、どこへとて<ruby>当<rt>あ</rt></ruby>てもなしに<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>き<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>した。
そして、 そっと おーらいえ でると、 どこえとて あても なしに あるきだした。
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過去の一切が、いちどきに浮び出て、わたしの眼の前に立ち上がった。
<ruby>過去<rt>かこ</rt></ruby>の<ruby>一切<rt>いっさい</rt></ruby>が、いちどきに<ruby>浮<rt>うか</rt></ruby>び<ruby>出<rt>で</rt></ruby>て、わたしの<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>の<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>に<ruby>立<rt>た</rt></ruby>ち<ruby>上<rt>あ</rt></ruby>がった。
かこの いっさいが、 いちどきに うかびでて、 わたしの めの まえに たちあがった。
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そうか、これがその解決だったのか! あの若々しい、燃えるような、きららかな生命が、わくわくと胸をおどらしながら、いっさんに突き進んで行った先は、つまりこれだったのか! わたしはそれを思いながら、あのなつかしい顔だちや、あのつぶらな眼や、あのふさふさと巻いた髪が、あの狭くるしい箱の中に納められて、じめじめした地下の闇のなかに眠っているところを心に描いた。
そうか、これがその<ruby>解決<rt>かいけつ</rt></ruby>だったのか!あの<ruby>若々<rt>わかわか</rt></ruby>しい、<ruby>燃<rt>も</rt></ruby>えるような、きららかな<ruby>生命<rt>いのち</rt></ruby>が、わくわくと<ruby>胸<rt>むね</rt></ruby>をおどらしながら、いっさんに<ruby>突<rt>つ</rt></ruby>き<ruby>進<rt>すす</rt></ruby>んで<ruby>行<rt>い</rt></ruby>った<ruby>先<rt>さき</rt></ruby>は、つまりこれだったのか!わたしはそれを<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>いながら、あのなつかしい<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>だちや、あのつぶらな<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>や、あのふさふさと<ruby>巻<rt>ま</rt></ruby>いた<ruby>髪<rt>かみ</rt></ruby>が、あの<ruby>狭<rt>せま</rt></ruby>くるしい<ruby>箱<rt>はこ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>に<ruby>納<rt>おさ</rt></ruby>められて、じめじめした<ruby>地下<rt>ちか</rt></ruby>の<ruby>闇<rt>やみ</rt></ruby>のなかに<ruby>眠<rt>ねむ</rt></ruby>っているところを<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>に<ruby>描<rt>えが</rt></ruby>いた。
そーか、 これが その かいけつだったのか! あの わかわかしい、 もえるよーな、 きららかな いのちが、 わくわくと むねを おどらしながら、 いっさんに つきすすんで いった さきわ、 つまり これだったのか! わたしわ それを おもいながら、 あの なつかしい かおだちや、 あの つぶらな めや、 あの ふさふさと まいた かみが、 あの せまくるしい はこの なかに おさめられて、 じめじめ した ちかの やみの なかに ねむって いる ところを こころに えがいた。
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――それは、まだこうして生きているわたしから、そう遠くない場所なのだ。
――それは、まだこうして<ruby>生<rt>い</rt></ruby>きているわたしから、そう<ruby>遠<rt>とお</rt></ruby>くない<ruby>場所<rt>ばしょ</rt></ruby>なのだ。
-- それわ、 まだ こー して いきて いる わたしから、 そー とおく ない ばしょなのだ。
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そしてひょっとすると、わたしの父のいる場所からは、ほんの五、六歩しかないかもしれないのだ。
そしてひょっとすると、わたしの<ruby>父<rt>ちち</rt></ruby>のいる<ruby>場所<rt>ばしょ</rt></ruby>からは、ほんの五、六<ruby>歩<rt>ぽ</rt></ruby>しかないかもしれないのだ。
そして ひょっと すると、 わたしの ちちの いる ばしょからわ、 ほんの 56ぽしか ないかも しれないのだ。
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……わたしは、そんなことを考えながら、想像のつばさを張りきらせているうちに、ふと、
……わたしは、そんなことを<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えながら、<ruby>想像<rt>そうぞう</rt></ruby>のつばさを<ruby>張<rt>は</rt></ruby>りきらせているうちに、ふと、
……… わたしわ、 そんな ことを かんがえながら、 そーぞーの つばさを はりきらせて いる うちに、 ふと
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
情け知らずな人の口から、わたしは聞いた、死の知らせを。
<ruby>情<rt>なさ</rt></ruby>け<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らずな<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>の<ruby>口<rt>くち</rt></ruby>から、わたしは<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いた、<ruby>死<rt>し</rt></ruby>の<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らせを。
なさけ しらずな ひとの くちから、 わたしわ きいた、 しの しらせを。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
そしてわたしも、情け知らずな顔をして、耳を澄ました。
そしてわたしも、<ruby>情<rt>なさ</rt></ruby>け<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らずな<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>をして、<ruby>耳<rt>みみ</rt></ruby>を<ruby>澄<rt>す</rt></ruby>ました。
そして わたしも、 なさけ しらずな かおを して、 みみを すました。
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という詩の文句が、わたしの胸に響いた。
という<ruby>詩<rt>し</rt></ruby>の<ruby>文句<rt>もんく</rt></ruby>が、わたしの<ruby>胸<rt>むね</rt></ruby>に<ruby>響<rt>ひび</rt></ruby>いた。
と いう しの もんくが、 わたしの むねに ひびいた。
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ああ、青春よ! 青春よ! お前はどんなことにも、かかずらわない。
ああ、<ruby>青春<rt>せいしゅん</rt></ruby>よ!<ruby>青春<rt>せいしゅん</rt></ruby>よ!お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>はどんなことにも、かかずらわない。
ああ、 せいしゅんよ! せいしゅんよ! おまえわ どんな ことにも、 かかずらわない。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとり占めにしているかのようだ。
お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>はまるで、この<ruby>宇宙<rt>うちゅう</rt></ruby>のあらゆる<ruby>財宝<rt>ざいほう</rt></ruby>を、ひとり<ruby>占<rt>じ</rt></ruby>めにしているかのようだ。
おまえわ まるで、 この うちゅーの あらゆる ざいほーを、 ひとりじめに して いるかのよーだ。
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憂愁でさえ、お前にとっては慰めだ。
<ruby>憂愁<rt>ゆうしゅう</rt></ruby>でさえ、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>にとっては<ruby>慰<rt>なぐさ</rt></ruby>めだ。
ゆーしゅーでさえ、 おまえに とってわ なぐさめだ。
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悲哀でさえ、お前には似つかわしい。
<ruby>悲哀<rt>ひあい</rt></ruby>でさえ、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>には<ruby>似<rt>に</rt></ruby>つかわしい。
ひあいでさえ、 おまえにわ につかわしい
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お前は思い上がって傲慢で、「われは、ひとり生きる――まあ見ているがいい!」などと言うけれど、その言葉のはしから、お前の日々はかけり去って、跡かたもなく帳じりもなく、消えていってしまうのだ。
お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>は<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>上<rt>あ</rt></ruby>がって<ruby>傲慢<rt>ごうまん</rt></ruby>で、「われは、ひとり<ruby>生<rt>い</rt></ruby>きる――まあ<ruby>見<rt>み</rt></ruby>ているがいい!」などと<ruby>言<rt>い</rt></ruby>うけれど、その<ruby>言葉<rt>ことば</rt></ruby>のはしから、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>の<ruby>日々<rt>ひび</rt></ruby>はかけり<ruby>去<rt>さ</rt></ruby>って、<ruby>跡<rt>あと</rt></ruby>かたもなく<ruby>帳<rt>ちょう</rt></ruby>じりもなく、<ruby>消<rt>き</rt></ruby>えていってしまうのだ。
おまえわ おもいあがって ごーまんで、 「われわ、 ひとり いきる -- まあ みて いるが いい!」などと いうけれど、 その ことばの はしから、 おまえの ひびわ かけりさって、 あとかたも なく ちょーじりも なく、 きえて いって しまうのだ。
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さながら、日なたの蝋のように、雪のように。
さながら、<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>なたの<ruby>蝋<rt>ろう</rt></ruby>のように、<ruby>雪<rt>ゆき</rt></ruby>のように。
さながら、 ひなたの ろーのよーに、 ゆきのよーに。
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……ひょっとすると、お前の魅力の秘密はつまるところ、一切を成しうることにあるのではなくて、一切を成しうると考えることができるところに、あるのかもしれない。
……ひょっとすると、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>の<ruby>魅力<rt>みりょく</rt></ruby>の<ruby>秘密<rt>ひみつ</rt></ruby>はつまるところ、<ruby>一切<rt>いっさい</rt></ruby>を<ruby>成<rt>な</rt></ruby>しうることにあるのではなくて、<ruby>一切<rt>いっさい</rt></ruby>を<ruby>成<rt>な</rt></ruby>しうると<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>えることができるところに、あるのかもしれない。
……… ひょっと すると、 おまえの みりょくの ひみつわ つまる ところ、 いっさいを なしうる ことに あるのでわ なくて、 いっさいを なしうると かんがえる ことが できる ところに、 あるのかも しれない。
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ありあまる力を、ほかにどうにも使いようがないので、ただ風のまにまに吹き散らしてしまうところに、あるのかもしれない。
ありあまる<ruby>力<rt>ちから</rt></ruby>を、ほかにどうにも<ruby>使<rt>つか</rt></ruby>いようがないので、ただ<ruby>風<rt>かぜ</rt></ruby>のまにまに<ruby>吹<rt>ふ</rt></ruby>き<ruby>散<rt>ち</rt></ruby>らしてしまうところに、あるのかもしれない。
ありあまる ちからを、 ほかに どーにも つかいよーが ないので、 ただ かぜの まにまに ふきちらして しまう ところに、 あるのかも しれない。
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しかも、わたしの期待したことのなかで、いったい何が実現しただろうか? 今、わたしの人生に夕べの影がすでに射し始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎてしまった朝まだきの春の雷雨の思い出ほどに、すがすがしくも懐しいものが、ほかに何か残っているだろうか?
しかも、わたしの<ruby>期待<rt>きたい</rt></ruby>したことのなかで、いったい<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>が<ruby>実現<rt>じつげん</rt></ruby>しただろうか?<ruby>今<rt>いま</rt></ruby>、わたしの<ruby>人生<rt>じんせい</rt></ruby>に<ruby>夕<rt>ゆう</rt></ruby>べの<ruby>影<rt>かげ</rt></ruby>がすでに<ruby>射<rt>さ</rt></ruby>し<ruby>始<rt>はじ</rt></ruby>めた<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>になってみると、あのみるみるうちに<ruby>過<rt>す</rt></ruby>ぎてしまった<ruby>朝<rt>あさ</rt></ruby>まだきの<ruby>春<rt>はる</rt></ruby>の<ruby>雷雨<rt>らいう</rt></ruby>の<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>い<ruby>出<rt>で</rt></ruby>ほどに、すがすがしくも<ruby>懐<rt>なつか</rt></ruby>しいものが、ほかに<ruby>何<rt>なに</rt></ruby>か<ruby>残<rt>のこ</rt></ruby>っているだろうか?
しかも、 わたしの きたい した ことの なかで、 いったい なにが じつげん しただろーか? いま、 わたしの じんせいに ゆーべの かげが すでに さしはじめた ときに なって みると、 あの みるみる うちに すぎて しまった あさまだきの はるの らいうの おもいでほどに、 すがすがしくも なつかしい ものが、 ほかに なにか のこって いるだろーか?
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だがわたしは、いささか自分につらく当り過ぎているようだ。
だがわたしは、いささか<ruby>自分<rt>じぶん</rt></ruby>につらく<ruby>当<rt>あた</rt></ruby>り<ruby>過<rt>す</rt></ruby>ぎているようだ。
だが わたしわ、 いささか じぶんに つらく あたりすぎて いるよーだ。
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その頃――つまりあの無分別な青春の頃にも、わたしはあながち、わたしに呼びかける悲しげな声や、墓穴の中からつたわってくる荘厳な物音に、耳をふさいでいたわけではない。
その<ruby>頃<rt>ころ</rt></ruby>――つまりあの<ruby>無分別<rt>むふんべつ</rt></ruby>な<ruby>青春<rt>せいしゅん</rt></ruby>の<ruby>頃<rt>ころ</rt></ruby>にも、わたしはあながち、わたしに<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>びかける<ruby>悲<rt>かな</rt></ruby>しげな<ruby>声<rt>こえ</rt></ruby>や、<ruby>墓穴<rt>ぼけつ</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>からつたわってくる<ruby>荘厳<rt>そうごん</rt></ruby>な<ruby>物音<rt>ものおと</rt></ruby>に、<ruby>耳<rt>みみ</rt></ruby>をふさいでいたわけではない。
その ころ -- つまり あの むふんべつな せいしゅんの ころにも、 わたしわ あながち、 わたしに よびかける かなしげな こえや、 ぼけつの なかから つたわって くる そーごんな ものおとに、 みみを ふさいで いた わけでわ ない。
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忘れもしないが、ジナイーダの死を知った日から四、五日して、わたしは自分でどうしてもそうせずにはいられなくなって、わたしたちと一つ屋根の下に住んでいたある貧しい老婆の、臨終に立ち会ったことがあった。
<ruby>忘<rt>わす</rt></ruby>れもしないが、ジナイーダの<ruby>死<rt>し</rt></ruby>を<ruby>知<rt>し</rt></ruby>った<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>から四、五<ruby>日<rt>にち</rt></ruby>して、わたしは<ruby>自分<rt>じぶん</rt></ruby>でどうしてもそうせずにはいられなくなって、わたしたちと<ruby>一<rt>ひと</rt></ruby>つ<ruby>屋根<rt>やね</rt></ruby>の<ruby>下<rt>した</rt></ruby>に<ruby>住<rt>す</rt></ruby>んでいたある<ruby>貧<rt>まず</rt></ruby>しい<ruby>老婆<rt>ろうば</rt></ruby>の、<ruby>臨終<rt>りんじゅう</rt></ruby>に<ruby>立<rt>た</rt></ruby>ち<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>ったことがあった。
わすれも しないが、 じないーだの しを しった ひから 45にち して、 わたしわ じぶんで どー しても そー せずにわ いられなく なって、 わたしたちと ひとつ やねの したに すんで いた ある まずしい ろーばの、 りんじゅーに たちあった ことが あった。
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ぼろに身を包み、こちこちの板の上に横たわり、袋を枕代りにした老婆は、苦しみもがきながら息を引取った。
ぼろに<ruby>身<rt>み</rt></ruby>を<ruby>包<rt>つつ</rt></ruby>み、こちこちの<ruby>板<rt>いた</rt></ruby>の<ruby>上<rt>うえ</rt></ruby>に<ruby>横<rt>よこ</rt></ruby>たわり、<ruby>袋<rt>ふくろ</rt></ruby>を<ruby>枕代<rt>まくらがわ</rt></ruby>りにした<ruby>老婆<rt>ろうば</rt></ruby>は、<ruby>苦<rt>くる</rt></ruby>しみもがきながら<ruby>息<rt>いき</rt></ruby>を<ruby>引取<rt>ひきと</rt></ruby>った。
ぼろに みを つつみ、 こちこちの いたの うえに よこたわり、 ふくろを まくらがわりに した ろーばわ、 くるしみ もがきながら いきを ひきとった。
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彼女の一生は、その日その日の乏しい暮しに、あくせく追われ通しで過ぎたのだ。
<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>の<ruby>一生<rt>いっしょう</rt></ruby>は、その<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>その<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>の<ruby>乏<rt>とぼ</rt></ruby>しい<ruby>暮<rt>くら</rt></ruby>しに、あくせく<ruby>追<rt>お</rt></ruby>われ<ruby>通<rt>どお</rt></ruby>しで<ruby>過<rt>す</rt></ruby>ぎたのだ。
かのじょの いっしょーわ、 その ひ その ひの とぼしい くらしに、 あくせく おわれどおしで すぎたのだ。
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喜びというものをついぞ知らず、幸福の甘い味わいも知らない彼女としては、まさに死をこそ、――そのもたらす自由を、そのもたらす憩いをこそ、喜び迎えるべきではなかったか? ところが、彼女の老いさらばえた肉体がまだ保っているうちは、その上に置かれた氷のように冷え果てた片手のもとで胸がまだ苦しげに波うっているうちは、まだその身から最後の力が抜けきらないうちは、老婆はひっきりなしに十字を切り続けて、「主よ、わが罪を許させたまえ」とささやき続けるのであった。
<ruby>喜<rt>よろこ</rt></ruby>びというものをついぞ<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らず、<ruby>幸福<rt>こうふく</rt></ruby>の<ruby>甘<rt>あま</rt></ruby>い<ruby>味<rt>あじ</rt></ruby>わいも<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らない<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>としては、まさに<ruby>死<rt>し</rt></ruby>をこそ、――そのもたらす<ruby>自由<rt>じゆう</rt></ruby>を、そのもたらす<ruby>憩<rt>いこ</rt></ruby>いをこそ、<ruby>喜<rt>よろこ</rt></ruby>び<ruby>迎<rt>むか</rt></ruby>えるべきではなかったか?ところが、<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>の<ruby>老<rt>お</rt></ruby>いさらばえた<ruby>肉体<rt>にくたい</rt></ruby>がまだ<ruby>保<rt>も</rt></ruby>っているうちは、その<ruby>上<rt>うえ</rt></ruby>に<ruby>置<rt>お</rt></ruby>かれた<ruby>氷<rt>こおり</rt></ruby>のように<ruby>冷<rt>ひ</rt></ruby>え<ruby>果<rt>は</rt></ruby>てた<ruby>片手<rt>かたて</rt></ruby>のもとで<ruby>胸<rt>むね</rt></ruby>がまだ<ruby>苦<rt>くる</rt></ruby>しげに<ruby>波<rt>なみ</rt></ruby>うっているうちは、まだその<ruby>身<rt>み</rt></ruby>から<ruby>最後<rt>さいご</rt></ruby>の<ruby>力<rt>ちから</rt></ruby>が<ruby>抜<rt>ぬ</rt></ruby>けきらないうちは、<ruby>老婆<rt>ろうば</rt></ruby>はひっきりなしに<ruby>十字<rt>じゅうじ</rt></ruby>を<ruby>切<rt>き</rt></ruby>り<ruby>続<rt>つづ</rt></ruby>けて、「<ruby>主<rt>しゅ</rt></ruby>よ、わが<ruby>罪<rt>つみ</rt></ruby>を<ruby>許<rt>ゆる</rt></ruby>させたまえ」とささやき<ruby>続<rt>つづ</rt></ruby>けるのであった。
よろこびと いう ものを ついぞ しらず、 こーふくの あまい あじわいも しらない かのじょと してわ、 まさに しをこそ、 -- その もたらす じゆーを、 その もたらす いこいをこそ、 よろこび むかえるべきでわ なかったか? ところが、 かのじょの おいさらばえた にくたいが まだ もって いる うちわ、 その うえに おかれた こおりのよーに ひえはてた かたての もとで むねが まだ くるしげに なみうって いる うちわ、 まだ その みから さいごの ちからが ぬけきらない うちわ、 ろーばわ ひっきりなしに じゅーじを きりつづけて、 「しゅよ、 わが つみを ゆるさせたまえ」と ささやきつづけるので あった。
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――そして、これを名残りの意識のひらめきが、すっと消えると共に、彼女の眼の中でも、末期の恐れやおびえの色が、やっと消えたのである。
――そして、これを<ruby>名残<rt>なご</rt></ruby>りの<ruby>意識<rt>いしき</rt></ruby>のひらめきが、すっと<ruby>消<rt>き</rt></ruby>えると<ruby>共<rt>とも</rt></ruby>に、<ruby>彼女<rt>かのじょ</rt></ruby>の<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>でも、<ruby>末期<rt>まつご</rt></ruby>の<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>れやおびえの<ruby>色<rt>いろ</rt></ruby>が、やっと<ruby>消<rt>き</rt></ruby>えたのである。
-- そして、 これを なごりの いしきの ひらめきが、 すっと きえると ともに、 かのじょの めの なかでも、 まつごの おそれや おびえの いろが、 やっと きえたので ある。
ツルゲーネフ_イワン/はつ恋/hatsukoi.txt
忘れもしない、そのとき、その貧しい老婆のいまわの床に付き添いながら、わたしは思わずジナイーダの身になって、そら恐ろしくなってきた。
<ruby>忘<rt>わす</rt></ruby>れもしない、そのとき、その<ruby>貧<rt>まず</rt></ruby>しい<ruby>老婆<rt>ろうば</rt></ruby>のいまわの<ruby>床<rt>とこ</rt></ruby>に<ruby>付<rt>つ</rt></ruby>き<ruby>添<rt>そ</rt></ruby>いながら、わたしは<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>わずジナイーダの<ruby>身<rt>み</rt></ruby>になって、そら<ruby>恐<rt>おそ</rt></ruby>ろしくなってきた。
わすれも しない、 その とき、 その まずしい ろーばの いまわの とこに つきそいながら、 わたしわ おもわず じないーだの みに なって、 そらおそろしく なって きた。
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