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おぬい (手紙を引手繰り披く)
おぬい(<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>を<ruby>引手繰<rt>ひったく</rt></ruby>り<ruby>披<rt>ひら</rt></ruby>く)
おぬい (てがみを ひったくり ひらく)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 馬、馬鹿。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby><ruby>馬<rt>ば</rt></ruby>、<ruby>馬鹿<rt>ばか</rt></ruby>。
はんじろー ば、 ばか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
そんな物を見る奴があるか。
そんな<ruby>物<rt>もの</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>があるか。
そんな ものを みる やつが あるか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい あッ兄さん、こ、この手紙は。
おぬいあッ<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん、こ、この<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>は。
おぬい あっ にいさん、 こ、 この てがみわ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 俺には文句が読めねえが当推量で判っている。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby><ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>には<ruby>文句<rt>もんく</rt></ruby>が<ruby>読<rt>よ</rt></ruby>めねえが<ruby>当推量<rt>あてずいりょう</rt></ruby>で<ruby>判<rt>わか</rt></ruby>っている。
はんじろー おれにわ もんくが よめねえが あてずいりょーで わかって いる。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
下総|飯岡の身内の者で、俺の首をあげに来た奴等が寄こした、呼び出し状だ。
<ruby>下総<rt>しもうさ</rt></ruby><ruby>飯岡<rt>いいおか</rt></ruby>の<ruby>身内<rt>みうち</rt></ruby>の<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>で、<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>の<ruby>首<rt>くび</rt></ruby>をあげに<ruby>来<rt>き</rt></ruby>た<ruby>奴等<rt>やつら</rt></ruby>が<ruby>寄<rt>よ</rt></ruby>こした、<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>び<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>し<ruby>状<rt>じょう</rt></ruby>だ。
しもーさ いいおかの みうちの もので、 おれの くびを あげに きた やつらが よこした、 よびだしじょーだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい 兄さん兄さん。
おぬい<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん。
おぬい にいさん にいさん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 これが堅気の瓦屋なら、逃げ隠れもしよう、だがヤクザ渡世の泥沼へ、足を入れた男としては、奴等と白刃をブッつけなくちゃ、男じゃあねえと人にいわれる。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>これが<ruby>堅気<rt>かたぎ</rt></ruby>の<ruby>瓦屋<rt>かわらや</rt></ruby>なら、<ruby>逃<rt>に</rt></ruby>げ<ruby>隠<rt>かく</rt></ruby>れもしよう、だがヤクザ<ruby>渡世<rt>とせい</rt></ruby>の<ruby>泥沼<rt>どろぬま</rt></ruby>へ、<ruby>足<rt>あし</rt></ruby>を<ruby>入<rt>い</rt></ruby>れた<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>としては、<ruby>奴等<rt>やつら</rt></ruby>と<ruby>白刃<rt>しらは</rt></ruby>をブッつけなくちゃ、<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>じゃあねえと<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>にいわれる。
はんじろー これが かたぎの かわらやなら、 にげかくれも しよー、 だが やくざ とせいの どろぬまえ、 あしを いれた おとこと してわ、 やつらと しらはを ぶっつけなくちゃ、 おとこじゃあ ねえと ひとに いわれる。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
命のやりとりに堤へ来いとここに書いてある通りに、兄さんは行く気なの。
<ruby>命<rt>いのち</rt></ruby>のやりとりに<ruby>堤<rt>どて</rt></ruby>へ<ruby>来<rt>こ</rt></ruby>いとここに<ruby>書<rt>か</rt></ruby>いてある<ruby>通<rt>とお</rt></ruby>りに、<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんは<ruby>行<rt>い</rt></ruby>く<ruby>気<rt>き</rt></ruby>なの。
いのちの やりとりに どてえ こいと ここに かいて ある とおりに、 にいさんわ いく きなの。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 うむ。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>うむ。
はんじろー うむ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
行くんだ。
<ruby>行<rt>い</rt></ruby>くんだ。
いくんだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(長脇差を取りに、母屋へ入ろうとする)
(<ruby>長脇差<rt>ながわきざし</rt></ruby>を<ruby>取<rt>と</rt></ruby>りに、<ruby>母屋<rt>おもや</rt></ruby>へ<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>ろうとする)
(ながわきざしを とりに、 おもやえ はいろーと する)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい 待っておくれ兄さん。
おぬい<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>っておくれ<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん。
おぬい まって おくれ にいさん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 止めてくれるな。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby><ruby>止<rt>と</rt></ruby>めてくれるな。
はんじろー とめて くれるな。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
さあ放しなよ。
さあ<ruby>放<rt>はな</rt></ruby>しなよ。
さあ はなしなよ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
えッ放すんだというのに。
えッ<ruby>放<rt>はな</rt></ruby>すんだというのに。
えっ はなすんだと いうのに。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(入る)
(<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>る)
(はいる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい 兄さん兄さん。
おぬい<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん。
おぬい にいさん にいさん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(追って入る。
(<ruby>追<rt>お</rt></ruby>って<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>る。
(おって はいる。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
直ぐ引返し障子を外から押える)
<ruby>直<rt>す</rt></ruby>ぐ<ruby>引返<rt>ひきかえ</rt></ruby>し<ruby>障子<rt>しょうじ</rt></ruby>を<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>から<ruby>押<rt>おさ</rt></ruby>える)
すぐ ひきかえし しょーじを そとから おさえる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 (姿は見えねど、内から障子を開けようとする)
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>(<ruby>姿<rt>すがた</rt></ruby>は<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えねど、<ruby>内<rt>うち</rt></ruby>から<ruby>障子<rt>しょうじ</rt></ruby>を<ruby>開<rt>あ</rt></ruby>けようとする)
はんじろー (すがたわ みえねど、 うちから しょーじを あけよーと する)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい (必死に押える)
おぬい(<ruby>必死<rt>ひっし</rt></ruby>に<ruby>押<rt>おさ</rt></ruby>える)
おぬい (ひっしに おさえる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 (土間の入口から外へ出る)
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>(<ruby>土間<rt>どま</rt></ruby>の<ruby>入口<rt>いりぐち</rt></ruby>から<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>へ<ruby>出<rt>で</rt></ruby>る)
はんじろー (どまの いりぐちから そとえ でる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい (縋りついて)いけないいけない。
おぬい(<ruby>縋<rt>すが</rt></ruby>りついて)いけないいけない。
おぬい (すがりついて) いけない いけない。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
兄さん待っておくれ。
<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>っておくれ。
にいさん まって おくれ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら (半次、兄妹の母、帝釈天に参り帰り来る)半次郎、お前どこへ行くのだい。
おむら(<ruby>半次<rt>はんじ</rt></ruby>、<ruby>兄妹<rt>きょうだい</rt></ruby>の<ruby>母<rt>はは</rt></ruby>、<ruby>帝釈天<rt>たいしゃくてん</rt></ruby>に<ruby>参<rt>まい</rt></ruby>り<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>り<ruby>来<rt>く</rt></ruby>る)<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>どこへ<ruby>行<rt>い</rt></ruby>くのだい。
おむら (はんじ、 きょーだいの はは、 たいしゃくてんに まいり かえりくる) はんじろー、 おまえ どこえ いくのだい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 おおお袋か。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>おおお<ruby>袋<rt>ふくろ</rt></ruby>か。
はんじろー おお おふくろか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい おッかさん大変な事になったよ。
おぬいおッかさん<ruby>大変<rt>たいへん</rt></ruby>な<ruby>事<rt>こと</rt></ruby>になったよ。
おぬい おっかさん たいへんな ことに なったよ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
これを見ておくれよ。
これを<ruby>見<rt>み</rt></ruby>ておくれよ。
これを みて おくれよ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(手紙を見せる)
(<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>せる)
(てがみを みせる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら (手紙の文言に驚愕はすれど、抑えつけて)半次郎、お前はまだ親不孝がしたりないのか。
おむら(<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>の<ruby>文言<rt>もんごん</rt></ruby>に<ruby>驚愕<rt>きょうがく</rt></ruby>はすれど、<ruby>抑<rt>おさ</rt></ruby>えつけて)<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>はまだ<ruby>親不孝<rt>おやふこう</rt></ruby>がしたりないのか。
おむら (てがみの もんごんに きょーがくわ すれど、 おさえつけて) はんじろー、 おまえわ まだ おやふこーが したりないのか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 そう云われると、面目なくて。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>そう<ruby>云<rt>い</rt></ruby>われると、<ruby>面目<rt>めんぼく</rt></ruby>なくて。
はんじろー そー いわれると、 めんぼく なくて。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら 今更の叱言だけれど、おとッさんの死目にも会わず、家とは音信不通で永らくいて稀に帰ってきて一晩たつと、もうこんな騒ぎを始めるのか、お前は他国で斬ったはったの騒ぎをして、それでも足りずに生れ在所へ帰ってまで、血腥い騒ぎがしたいのか。
おむら<ruby>今更<rt>いまさら</rt></ruby>の<ruby>叱言<rt>こごと</rt></ruby>だけれど、おとッさんの<ruby>死目<rt>しにめ</rt></ruby>にも<ruby>会<rt>あ</rt></ruby>わず、<ruby>家<rt>うち</rt></ruby>とは<ruby>音信<rt>おんしん</rt></ruby><ruby>不通<rt>ふつう</rt></ruby>で<ruby>永<rt>なが</rt></ruby>らくいて<ruby>稀<rt>たま</rt></ruby>に<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>ってきて<ruby>一晩<rt>ひとばん</rt></ruby>たつと、もうこんな<ruby>騒<rt>さわ</rt></ruby>ぎを<ruby>始<rt>はじ</rt></ruby>めるのか、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>は<ruby>他国<rt>たこく</rt></ruby>で<ruby>斬<rt>き</rt></ruby>ったはったの<ruby>騒<rt>さわ</rt></ruby>ぎをして、それでも<ruby>足<rt>た</rt></ruby>りずに<ruby>生<rt>うま</rt></ruby>れ<ruby>在所<rt>ざいしょ</rt></ruby>へ<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>ってまで、<ruby>血腥<rt>ちなまぐさ</rt></ruby>い<ruby>騒<rt>さわ</rt></ruby>ぎがしたいのか。
おむら いまさらの こごとだけれど、 おとっさんの しにめにも あわず、 うちとわ おんしん ふつーで ながらく いて たまに かえって きて ひとばん たつと、 もー こんな さわぎを はじめるのか、 おまえわ たこくで きった はったの さわぎを して、 それでも たりずに うまれ ざいしょえ かえってまで、 ちなまぐさい さわぎが したいのか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 済みません。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby><ruby>済<rt>す</rt></ruby>みません。
はんじろー すみません。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
だがお袋。
だがお<ruby>袋<rt>ふくろ</rt></ruby>。
だが おふくろ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
好んでする勝負じゃなく売られてみれば男として買わずにゃ居られませんから。
<ruby>好<rt>この</rt></ruby>んでする<ruby>勝負<rt>しょうぶ</rt></ruby>じゃなく<ruby>売<rt>う</rt></ruby>られてみれば<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>として<ruby>買<rt>か</rt></ruby>わずにゃ<ruby>居<rt>い</rt></ruby>られませんから。
このんで する しょーぶじゃ なく うられて みれば おとこと して かわずにゃ いられませんから。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら お黙り。
おむらお<ruby>黙<rt>だま</rt></ruby>り。
おむら おだまり。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
親兄妹に泣きを見せてそれが何の男なのだい。
<ruby>親兄妹<rt>おやきょうだい</rt></ruby>に<ruby>泣<rt>な</rt></ruby>きを<ruby>見<rt>み</rt></ruby>せてそれが<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>の<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>なのだい。
おやきょーだいに なきを みせて それが なんの おとこなのだい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
惣兵衛兄さんをご覧、親にも妹にも優しいよ。
<ruby>惣兵衛<rt>そうべえ</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんをご<ruby>覧<rt>らん</rt></ruby>、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>にも<ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>にも<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しいよ。
そーべえ にいさんを ごらん、 おやにも いもーとにも やさしいよ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
人様にだって親切だ、それでこそ男といえるのだ。
<ruby>人様<rt>ひとさま</rt></ruby>にだって<ruby>親切<rt>しんせつ</rt></ruby>だ、それでこそ<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>といえるのだ。
ひとさまにだって しんせつだ、 それでこそ おとこと いえるのだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お前のはただ強がって、面白ずくと無鉄砲で、斬るの突くのと喧嘩をしたり、仕事といえば遊びくらし、ばくちを打つばかりじゃないか。
お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>のはただ<ruby>強<rt>つよ</rt></ruby>がって、<ruby>面白<rt>おもしろ</rt></ruby>ずくと<ruby>無鉄砲<rt>むてっぽう</rt></ruby>で、<ruby>斬<rt>き</rt></ruby>るの<ruby>突<rt>つ</rt></ruby>くのと<ruby>喧嘩<rt>けんか</rt></ruby>をしたり、<ruby>仕事<rt>しごと</rt></ruby>といえば<ruby>遊<rt>あそ</rt></ruby>びくらし、ばくちを<ruby>打<rt>う</rt></ruby>つばかりじゃないか。
おまえのわ ただ つよがって、 おもしろずくと むてっぽーで、 きるの つくのと けんかを したり、 しごとと いえば あそびくらし、 ばくちを うつばかりじゃ ないか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
そんな奴が何で、男だなんていえるのだい。
そんな<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>が<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>で、<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>だなんていえるのだい。
そんな やつが なんで、 おとこだなんて いえるのだい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
今度帰ってきたのが幸い、もう決して外へは出さない。
<ruby>今度<rt>こんど</rt></ruby><ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>ってきたのが<ruby>幸<rt>さいわ</rt></ruby>い、もう<ruby>決<rt>けっ</rt></ruby>して<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>へは<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>さない。
こんど かえって きたのが さいわい、 もー けっして そとえわ ださない。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
惣兵衛が帰ってきたら、あの子とよく相談して、お前を真人間に叩き直し、常陸の叔父さんの処へ預けるつもりだ。
<ruby>惣兵衛<rt>そうべえ</rt></ruby>が<ruby>帰<rt>かえ</rt></ruby>ってきたら、あの<ruby>子<rt>こ</rt></ruby>とよく<ruby>相談<rt>そうだん</rt></ruby>して、お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>を<ruby>真人間<rt>まにんげん</rt></ruby>に<ruby>叩<rt>たた</rt></ruby>き<ruby>直<rt>なお</rt></ruby>し、<ruby>常陸<rt>ひたち</rt></ruby>の<ruby>叔父<rt>おじ</rt></ruby>さんの<ruby>処<rt>ところ</rt></ruby>へ<ruby>預<rt>あず</rt></ruby>けるつもりだ。
そーべえが かえって きたら、 あの こと よく そーだん して、 おまえを まにんげんに たたきなおし、 ひたちの おじさんの ところえ あずける つもりだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい それご覧な兄さん、だからあたしが止めてるんじゃないか。
おぬいそれご<ruby>覧<rt>らん</rt></ruby>な<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さん、だからあたしが<ruby>止<rt>と</rt></ruby>めてるんじゃないか。
おぬい それ ごらんな にいさん、 だから あたしが とめてるんじゃ ないか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 ゆうべからつくづく考え、俺も堅気にはなりていとは思ったが、こうして呼び出しをかけられては。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>ゆうべからつくづく<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>え、<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>も<ruby>堅気<rt>かたぎ</rt></ruby>にはなりていとは<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>ったが、こうして<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>び<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>しをかけられては。
はんじろー ゆーべから つくづく かんがえ、 おれも かたぎにわ なりていとわ おもったが、 こー して よびだしを かけられてわ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら まだそれを云ってるのかい。
おむらまだそれを<ruby>云<rt>い</rt></ruby>ってるのかい。
おむら まだ それを いってるのかい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
どうでも喧嘩に出て行くのなら、親を殺してから行くがいい。
どうでも<ruby>喧嘩<rt>けんか</rt></ruby>に<ruby>出<rt>で</rt></ruby>て<ruby>行<rt>い</rt></ruby>くのなら、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>を<ruby>殺<rt>ころ</rt></ruby>してから<ruby>行<rt>い</rt></ruby>くがいい。
どーでも けんかに でて いくのなら、 おやを ころしてから いくが いい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎、家の中へおはいり。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>、<ruby>家<rt>うち</rt></ruby>の<ruby>中<rt>なか</rt></ruby>へおはいり。
はんじろー、 うちの なかえ おはいり。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 ええ。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>ええ。
はんじろー ええ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(入ろうとしない)
(<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>ろうとしない)
(はいろーと しない)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎 (仕方なく母屋へ入る)
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>(<ruby>仕方<rt>しかた</rt></ruby>なく<ruby>母屋<rt>おもや</rt></ruby>へ<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>る)
はんじろー (しかたなく おもやえ はいる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら (手紙を懐中に入れ、おぬいに外を気をつけろと囁き、母屋へ入る)
おむら(<ruby>手紙<rt>てがみ</rt></ruby>を<ruby>懐中<rt>かいちゅう</rt></ruby>に<ruby>入<rt>い</rt></ruby>れ、おぬいに<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>を<ruby>気<rt>き</rt></ruby>をつけろと<ruby>囁<rt>ささや</rt></ruby>き、<ruby>母屋<rt>おもや</rt></ruby>へ<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>る)
おむら (てがみを かいちゅーに いれ、 おぬいに そとを きを つけろと ささやき、 おもやえ はいる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい (鶏を小舎へ追い込む)
おぬい(<ruby>鶏<rt>にわとり</rt></ruby>を<ruby>小舎<rt>こや</rt></ruby>へ<ruby>追<rt>お</rt></ruby>い<ruby>込<rt>こ</rt></ruby>む)
おぬい (にわとりを こやえ おいこむ) ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
日が次第に、この以後|昏くなる。
<ruby>日<rt>ひ</rt></ruby>が<ruby>次第<rt>しだい</rt></ruby>に、この<ruby>以後<rt>いご</rt></ruby><ruby>昏<rt>くら</rt></ruby>くなる。
ひが しだいに、 この いご くらく なる。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
唄の声(どこからか聞こえる)ぬしを松戸で、目を柴又き、小岩|慕えど、真間ならぬ。
<ruby>唄<rt>うた</rt></ruby>の<ruby>声<rt>こえ</rt></ruby>(どこからか<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>こえる)ぬしを<ruby>松戸<rt>まつど</rt></ruby>で、<ruby>目<rt>め</rt></ruby>を<ruby>柴又<rt>しばまた</rt></ruby>き、<ruby>小岩<rt>こいわ</rt></ruby><ruby>慕<rt>した</rt></ruby>えど、<ruby>真間<rt>まま</rt></ruby>ならぬ。
うたの こえ (どこからか きこえる) ぬしを まつどで、 めを しばまたき、 こいわ したえど、 ままならぬ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
旅の博徒番場の忠太郎(三十歳を越ゆ)人目を忍び、立木隠れに素早く進み、垣の外に立って様子を見ている。
<ruby>旅<rt>たび</rt></ruby>の<ruby>博徒<rt>ばくと</rt></ruby><ruby>番場<rt>ばんば</rt></ruby>の<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(三十<ruby>歳<rt>さい</rt></ruby>を<ruby>越<rt>こ</rt></ruby>ゆ)<ruby>人目<rt>ひとめ</rt></ruby>を<ruby>忍<rt>しの</rt></ruby>び、<ruby>立木隠<rt>たちきがく</rt></ruby>れに<ruby>素早<rt>すばや</rt></ruby>く<ruby>進<rt>すす</rt></ruby>み、<ruby>垣<rt>かき</rt></ruby>の<ruby>外<rt>そと</rt></ruby>に<ruby>立<rt>た</rt></ruby>って<ruby>様子<rt>ようす</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>ている。
たびの ばくと ばんばの ちゅーたろー(30さいを こゆ) ひとめを しのび、 たちきがくれに すばやく すすみ、 かきの そとに たって よーすを みて いる ≪
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい (鶏を小舎に入れ終り、母屋に入ろうとする)
おぬい(<ruby>鶏<rt>にわとり</rt></ruby>を<ruby>小舎<rt>こや</rt></ruby>に<ruby>入<rt>い</rt></ruby>れ<ruby>終<rt>おわ</rt></ruby>り、<ruby>母屋<rt>おもや</rt></ruby>に<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>ろうとする)
おぬい (にわとりを こやに いれおわり、 おもやに はいろーと する)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 あ、もし。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>あ、もし。
ちゅーたろー あ、 もし。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい (ちらと見てまたかと驚愕する)
おぬい(ちらと<ruby>見<rt>み</rt></ruby>てまたかと<ruby>驚愕<rt>きょうがく</rt></ruby>する)
おぬい (ちらと みて またかと きょーがく する)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 だしぬけなのでびッくりさせたか。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>だしぬけなのでびッくりさせたか。
ちゅーたろー だしぬけなので びっくり させたか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
勘弁してくれ。
<ruby>勘弁<rt>かんべん</rt></ruby>してくれ。
かんべん して くれ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お前はおぬいさんだね。
お<ruby>前<rt>めえ</rt></ruby>はおぬいさんだね。
おめえわ おぬいさんだね。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 (垣の内へ入り、竈を楯に往来から見えぬように位置し)ゆうべここの門口まで一緒に来た忠太郎という男の事を、兄さんは話さなかったか。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>(<ruby>垣<rt>かき</rt></ruby>の<ruby>内<rt>うち</rt></ruby>へ<ruby>入<rt>はい</rt></ruby>り、<ruby>竈<rt>かまど</rt></ruby>を<ruby>楯<rt>たて</rt></ruby>に<ruby>往来<rt>おうらい</rt></ruby>から<ruby>見<rt>み</rt></ruby>えぬように<ruby>位置<rt>いち</rt></ruby>し)ゆうべここの<ruby>門口<rt>かどぐち</rt></ruby>まで<ruby>一緒<rt>いっしょ</rt></ruby>に<ruby>来<rt>き</rt></ruby>た<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>という<ruby>男<rt>おとこ</rt></ruby>の<ruby>事<rt>こと</rt></ruby>を、<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんは<ruby>話<rt>はな</rt></ruby>さなかったか。
ちゅーたろー (かきの うちえ はいり、 かまどを たてに おーらいから みえぬよーに いち し) ゆーべ ここの かどぐちまで いっしょに きた ちゅーたろーと いう おとこの ことを、 にいさんわ はなさなかったか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい いいえ半次兄さんなら、家へは来て居りません。
おぬいいいえ<ruby>半次<rt>はんじ</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんなら、<ruby>家<rt>うち</rt></ruby>へは<ruby>来<rt>き</rt></ruby>て<ruby>居<rt>お</rt></ruby>りません。
おぬい いいえ はんじ にいさんなら、 うちえわ きて おりません。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
余ッ程前に勘当されて。
<ruby>余<rt>よ</rt></ruby>ッ<ruby>程<rt>ぽど</rt></ruby><ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>に<ruby>勘当<rt>かんどう</rt></ruby>されて。
よっぽど まえに かんどー されて。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 おッと。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>おッと。
ちゅーたろー おっと。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
その事なら知っている、どうでヤクザになる奴は、親があれば大抵勘当だ。
その<ruby>事<rt>こと</rt></ruby>なら<ruby>知<rt>し</rt></ruby>っている、どうでヤクザになる<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>は、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>があれば<ruby>大抵<rt>たいてい</rt></ruby><ruby>勘当<rt>かんどう</rt></ruby>だ。
その ことなら しって いる、 どーで やくざに なる やつわ、 おやが あれば たいてい かんどーだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬいさん、兄さんにちょいと逢わせてくれねえか、ほんの二言三言で用は済むのだ。
おぬいさん、<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんにちょいと<ruby>逢<rt>あ</rt></ruby>わせてくれねえか、ほんの<ruby>二言<rt>ふたこと</rt></ruby><ruby>三言<rt>みこと</rt></ruby>で<ruby>用<rt>よう</rt></ruby>は<ruby>済<rt>す</rt></ruby>むのだ。
おぬいさん、 にいさんに ちょいと あわせて くれねえか、 ほんの ふたこと みことで よーわ すむのだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい いえ、半次郎兄さんは来ていません。
おぬいいえ、<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんは<ruby>来<rt>き</rt></ruby>ていません。
おぬい いえ、 はんじろー にいさんわ きて いません。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 そんな筈があるものか。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>そんな<ruby>筈<rt>はず</rt></ruby>があるものか。
ちゅーたろー そんな はずが ある ものか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
現在ゆうべ俺が勧めて、ここまで一緒に来たのだもの。
<ruby>現在<rt>げんざい</rt></ruby>ゆうべ<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>が<ruby>勧<rt>すす</rt></ruby>めて、ここまで<ruby>一緒<rt>いっしょ</rt></ruby>に<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たのだもの。
げんざい ゆーべ おれが すすめて、 ここまで いっしょに きたのだもの。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい (当惑して)居りません居りません。
おぬい(<ruby>当惑<rt>とうわく</rt></ruby>して)<ruby>居<rt>お</rt></ruby>りません<ruby>居<rt>お</rt></ruby>りません。
おぬい (とーわく して) おりません おりません。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
本当に兄さんは居ないんです。
<ruby>本当<rt>ほんとう</rt></ruby>に<ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんは<ruby>居<rt>い</rt></ruby>ないんです。
ほんとーに にいさんわ いないんです。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 疑うのは一応もっともだが、他の者じゃなし俺が来たのに――といってもお前さんには初対面、疑うのも兄貴を思う心からだ。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>疑<rt>うたが</rt></ruby>うのは<ruby>一応<rt>いちおう</rt></ruby>もっともだが、<ruby>他<rt>ほか</rt></ruby>の<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>じゃなし<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>が<ruby>来<rt>き</rt></ruby>たのに――といってもお<ruby>前<rt>めえ</rt></ruby>さんには<ruby>初対面<rt>しょたいめん</rt></ruby>、<ruby>疑<rt>うたが</rt></ruby>うのも<ruby>兄貴<rt>あにき</rt></ruby>を<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>う<ruby>心<rt>こころ</rt></ruby>からだ。
ちゅーたろー うたがうのわ いちおー もっともだが、 ほかの ものじゃ なし おれが きたのに -- と いっても おめえさんにわ しょたいめん、 うたがうのも あにきを おもう こころからだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次の奴め、情合のある妹を持って、羨ましい奴だな。
<ruby>半次<rt>はんじ</rt></ruby>の<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>め、<ruby>情合<rt>じょうあい</rt></ruby>のある<ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>を<ruby>持<rt>も</rt></ruby>って、<ruby>羨<rt>うらや</rt></ruby>ましい<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>だな。
はんじの やつめ、 じょーあいの ある いもーとを もって、 うらやましい やつだな。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら (母屋から出る)不孝者の半次郎にご用のあなたは、どちらの方でございます。
おむら(<ruby>母屋<rt>おもや</rt></ruby>から<ruby>出<rt>で</rt></ruby>る)<ruby>不孝者<rt>ふこうもの</rt></ruby>の<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>にご<ruby>用<rt>よう</rt></ruby>のあなたは、どちらの<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>でございます。
おむら (おもやから でる) ふこーものの はんじろーに ごよーの あなたわ、 どちらの かたで ございます。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 お袋さんでござんすか。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>お<ruby>袋<rt>ふくろ</rt></ruby>さんでござんすか。
ちゅーたろー おふくろさんで ござんすか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
手前は忠太郎と申しまして、こちら様の半次さんとは、深い訳のある者でござんす。
<ruby>手前<rt>てめえ</rt></ruby>は<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>と<ruby>申<rt>もう</rt></ruby>しまして、こちら<ruby>様<rt>さま</rt></ruby>の<ruby>半次<rt>はんじ</rt></ruby>さんとは、<ruby>深<rt>ふか</rt></ruby>い<ruby>訳<rt>わけ</rt></ruby>のある<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>でござんす。
てめえわ ちゅーたろーと もーしまして、 こちらさまの はんじ さんとわ、 ふかい わけの ある もので ござんす。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら お前さんも半次郎を、探しておいでなさいましたか、半次郎は勘当して、人別からも刎ねのけた不孝な奴、私共へは一向に寄り付きません。
おむらお<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さんも<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>を、<ruby>探<rt>さが</rt></ruby>しておいでなさいましたか、<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>は<ruby>勘当<rt>かんどう</rt></ruby>して、<ruby>人別<rt>にんべつ</rt></ruby>からも<ruby>刎<rt>は</rt></ruby>ねのけた<ruby>不孝<rt>ふこう</rt></ruby>な<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>、<ruby>私共<rt>わたくしども</rt></ruby>へは<ruby>一向<rt>いっこう</rt></ruby>に<ruby>寄<rt>よ</rt></ruby>り<ruby>付<rt>つ</rt></ruby>きません。
おむら おまえさんも はんじろーを、 さがして おいで なさいましたか、 はんじろーわ かんどー して、 にんべつからも はねのけた ふこーな やつ、 わたくしどもえわ いっこーに よりつきません。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
ご用でしたら他を探してくださいまし。
ご<ruby>用<rt>よう</rt></ruby>でしたら<ruby>他<rt>ほか</rt></ruby>を<ruby>探<rt>さが</rt></ruby>してくださいまし。
ごよーでしたら ほかを さがして くださいまし。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 押し問答をしていては、キリがねえので困るなあ。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>押<rt>お</rt></ruby>し<ruby>問答<rt>もんどう</rt></ruby>をしていては、キリがねえので<ruby>困<rt>こま</rt></ruby>るなあ。
ちゅーたろー おしもんどーを して いてわ、 きりが ねえので こまるなあ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
じゃこうして貰いましょう。
じゃこうして<ruby>貰<rt>もら</rt></ruby>いましょう。
じゃ こー して もらいましょー。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら 伝言をしろと仰有るのですか。
おむら<ruby>伝言<rt>ことづけ</rt></ruby>をしろと<ruby>仰有<rt>おっしゃ</rt></ruby>るのですか。
おむら ことづけを しろと おっしゃるのですか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
居ない者に伝言のしようがありません。
<ruby>居<rt>い</rt></ruby>ない<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>に<ruby>伝言<rt>ことづけ</rt></ruby>のしようがありません。
いない ものに ことづけの しよーが ありません。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 そうか。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>そうか。
ちゅーたろー そーか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お袋さんや妹さんが、必死になって居ねえと云い張る、その様子を見ていると、親身の情が溢れて出ている――二人の親に死別れやら生き別れして顔も知らねえ俺にとっては――意気地もなく人様の親兄弟が羨ましい。
お<ruby>袋<rt>ふくろ</rt></ruby>さんや<ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>さんが、<ruby>必死<rt>ひっし</rt></ruby>になって<ruby>居<rt>い</rt></ruby>ねえと<ruby>云<rt>い</rt></ruby>い<ruby>張<rt>は</rt></ruby>る、その<ruby>様子<rt>ようす</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>ていると、<ruby>親身<rt>しんみ</rt></ruby>の<ruby>情<rt>じょう</rt></ruby>が<ruby>溢<rt>あふ</rt></ruby>れて<ruby>出<rt>で</rt></ruby>ている――<ruby>二人<rt>ふたり</rt></ruby>の<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>に<ruby>死別<rt>しにわか</rt></ruby>れやら<ruby>生<rt>い</rt></ruby>き<ruby>別<rt>わか</rt></ruby>れして<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>も<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らねえ<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>にとっては――<ruby>意気地<rt>いくじ</rt></ruby>もなく<ruby>人様<rt>ひとさま</rt></ruby>の<ruby>親兄弟<rt>おやきょうだい</rt></ruby>が<ruby>羨<rt>うらや</rt></ruby>ましい。
おふくろさんや いもーとさんが、 ひっしに なって いねえと いいはる、 その よーすを みて いると、 しんみの じょーが あふれて でて いる -- ふたりの おやに しにわかれやら いきわかれ して かおも しらねえ おれに とってわ -- いくじも なく ひとさまの おやきょーだいが うらやましい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら それ程のことを云う人が、何で半次郎を呼び出しになど来るのです。
おむらそれ<ruby>程<rt>ほど</rt></ruby>のことを<ruby>云<rt>い</rt></ruby>う<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>が、<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>で<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>を<ruby>呼<rt>よ</rt></ruby>び<ruby>出<rt>だ</rt></ruby>しになど<ruby>来<rt>く</rt></ruby>るのです。
おむら それほどの ことを いう ひとが、 なんで はんじろーを よびだしになど くるのです。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
あたしはお前さんに怨みが云いたい位だ。
あたしはお<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さんに<ruby>怨<rt>うら</rt></ruby>みが<ruby>云<rt>い</rt></ruby>いたい<ruby>位<rt>くらい</rt></ruby>だ。
あたしわ おまえさんに うらみが いいたいくらいだ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
半次郎の奴の性根が悪いからには違いないが、傍にまッとうな人でもいたら、ああもならずに居たろうかと、愚痴だとは思いながら、友達衆が怨めしい。
<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>の<ruby>奴<rt>やつ</rt></ruby>の<ruby>性根<rt>しょうね</rt></ruby>が<ruby>悪<rt>わる</rt></ruby>いからには<ruby>違<rt>ちが</rt></ruby>いないが、<ruby>傍<rt>そば</rt></ruby>にまッとうな<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>でもいたら、ああもならずに<ruby>居<rt>い</rt></ruby>たろうかと、<ruby>愚痴<rt>ぐち</rt></ruby>だとは<ruby>思<rt>おも</rt></ruby>いながら、<ruby>友達衆<rt>ともだちしゅう</rt></ruby>が<ruby>怨<rt>うら</rt></ruby>めしい。
はんじろーの やつの しょーねが わるいからにわ ちがい ないが、 そばに まっとーな ひとでも いたら、 ああも ならずに いたろーかと、 ぐちだとわ おもいながら、 ともだちしゅーが うらめしい。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おぬい 噂に聞けば半次郎兄さんは、下総の飯岡で、たいした親分とかを斬りに行き、多勢の人に傷をつけ、逃げ歩いていると云うけれども、それもこれも、お友達が悪いから。
おぬい<ruby>噂<rt>うわさ</rt></ruby>に<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>けば<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby><ruby>兄<rt>にい</rt></ruby>さんは、<ruby>下総<rt>しもうさ</rt></ruby>の<ruby>飯岡<rt>いいおか</rt></ruby>で、たいした<ruby>親分<rt>おやぶん</rt></ruby>とかを<ruby>斬<rt>き</rt></ruby>りに<ruby>行<rt>ゆ</rt></ruby>き、<ruby>多勢<rt>たぜい</rt></ruby>の<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>に<ruby>傷<rt>きず</rt></ruby>をつけ、<ruby>逃<rt>に</rt></ruby>げ<ruby>歩<rt>ある</rt></ruby>いていると<ruby>云<rt>い</rt></ruby>うけれども、それもこれも、お<ruby>友達<rt>ともだち</rt></ruby>が<ruby>悪<rt>わる</rt></ruby>いから。
おぬい うわさに きけば はんじろー にいさんわ、 しもーさの いいおかで、 たいした おやぶんとかを きりに ゆき、 たぜいの ひとに きずを つけ、 にげあるいて いると いうけれども、 それも これも、 おともだちが わるいから。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(嫌悪の眼で忠太郎を見る)
(<ruby>嫌悪<rt>けんお</rt></ruby>の<ruby>眼<rt>め</rt></ruby>で<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>を<ruby>見<rt>み</rt></ruby>る)
(けんおの めで ちゅーたろーを みる)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
おむら 友達衆のだれ一人だって、親のない者はないだろう。
おむら<ruby>友達衆<rt>ともだちしゅう</rt></ruby>のだれ<ruby>一人<rt>ひとり</rt></ruby>だって、<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>のない<ruby>者<rt>もの</rt></ruby>はないだろう。
おむら ともだちしゅーの だれ ひとりだって、 おやの ない ものわ ないだろー。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お前さん方は親の事を、夢にも見ないでいるのですか。
お<ruby>前<rt>まえ</rt></ruby>さん<ruby>方<rt>がた</rt></ruby>は<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>の<ruby>事<rt>こと</rt></ruby>を、<ruby>夢<rt>ゆめ</rt></ruby>にも<ruby>見<rt>み</rt></ruby>ないでいるのですか。
おまえさんがたわ おやの ことを、 ゆめにも みないで いるのですか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 俺と来て遊べ親のねえ雀か。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby><ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>と<ruby>来<rt>き</rt></ruby>て<ruby>遊<rt>あそ</rt></ruby>べ<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>のねえ<ruby>雀<rt>すずめ</rt></ruby>か。
ちゅーたろー おれと きて あそべ おやの ねえ すずめか。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
(溜息をつく)
(<ruby>溜息<rt>ためいき</rt></ruby>をつく)
(ためいきを つく)
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
忠太郎 こいつあ、あッしづれに出来る発句じゃござんせん。
<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>こいつあ、あッしづれに<ruby>出来<rt>でき</rt></ruby>る<ruby>発句<rt>ほっく</rt></ruby>じゃござんせん。
ちゅーたろー こいつあ、 あっしづれに できる ほっくじゃ ござんせん。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
信州の何とか云う人が作ったと、聞いた時から、俺の事だ俺の身の上を咏んだのだと、馬鹿|相応の一つ憶えで、ツイ口に出たのでござんす。
<ruby>信州<rt>しんしゅう</rt></ruby>の<ruby>何<rt>なん</rt></ruby>とか<ruby>云<rt>い</rt></ruby>う<ruby>人<rt>ひと</rt></ruby>が<ruby>作<rt>つく</rt></ruby>ったと、<ruby>聞<rt>き</rt></ruby>いた<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>から、<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>の<ruby>事<rt>こと</rt></ruby>だ<ruby>俺<rt>おれ</rt></ruby>の<ruby>身<rt>み</rt></ruby>の<ruby>上<rt>うえ</rt></ruby>を<ruby>咏<rt>よ</rt></ruby>んだのだと、<ruby>馬鹿<rt>ばか</rt></ruby><ruby>相応<rt>そうおう</rt></ruby>の<ruby>一<rt>ひと</rt></ruby>つ<ruby>憶<rt>おぼ</rt></ruby>えで、ツイ<ruby>口<rt>くち</rt></ruby>に<ruby>出<rt>で</rt></ruby>たのでござんす。
しんしゅーの なんとか いう ひとが つくったと、 きいた ときから、 おれの ことだ おれの みのうえを よんだのだと、 ばか そーおーの ひとつ おぼえで、 つい くちに でたので ござんす。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
親はあっても顔さえ知らず、居どころだって知らねえあッしに、本当の親の味はわからねえんでござんすが、またそれだけに、ああもあろうか、こうもあろうかと、夢か妄想に描くような、あッしにはあッし相応の考え方がござんすのさ。
<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>はあっても<ruby>顔<rt>かお</rt></ruby>さえ<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らず、<ruby>居<rt>い</rt></ruby>どころだって<ruby>知<rt>し</rt></ruby>らねえあッしに、<ruby>本当<rt>ほんとう</rt></ruby>の<ruby>親<rt>おや</rt></ruby>の<ruby>味<rt>あじ</rt></ruby>はわからねえんでござんすが、またそれだけに、ああもあろうか、こうもあろうかと、<ruby>夢<rt>ゆめ</rt></ruby>か<ruby>妄想<rt>もうそう</rt></ruby>に<ruby>描<rt>えが</rt></ruby>くような、あッしにはあッし<ruby>相応<rt>そうおう</rt></ruby>の<ruby>考<rt>かんが</rt></ruby>え<ruby>方<rt>かた</rt></ruby>がござんすのさ。
おやわ あっても かおさえ しらず、 いどころだって しらねえ あっしに、 ほんとーの おやの あじわ わからねえんで ござんすが、 また それだけに、 ああも あろーか、 こーも あろーかと、 ゆめか もーそーに えがくよーな、 あっしにわ あっし そーおーの かんがえかたが ござんすのさ。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt
お邪魔をしましたお袋さん、妹さん、番場の忠太郎は只今限り、半次郎さんと縁切りでござんす。
お<ruby>邪魔<rt>じゃま</rt></ruby>をしましたお<ruby>袋<rt>ふくろ</rt></ruby>さん、<ruby>妹<rt>いもうと</rt></ruby>さん、<ruby>番場<rt>ばんば</rt></ruby>の<ruby>忠太郎<rt>ちゅうたろう</rt></ruby>は<ruby>只今<rt>ただいま</rt></ruby><ruby>限<rt>かぎ</rt></ruby>り、<ruby>半次郎<rt>はんじろう</rt></ruby>さんと<ruby>縁切<rt>えんき</rt></ruby>りでござんす。
おじゃまを しました おふくろさん、 いもーとさん、 ばんばの ちゅーたろーわ ただいま かぎり、 はんじろー さんと えんきりで ござんす。
長谷川伸/瞼の母/mabutano.txt